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【スペシャルインタビュー】

第1回 前編

堀島行真選手

スキー・モーグル日本代表
トヨタ自動車所属
 
堀島行真選手

無断転載を禁じます

堀島行真選手

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【スペシャルインタビュー】 第1回 前編

堀島行真選手

スキー・モーグル日本代表
トヨタ自動車所属


 世界の頂点を極めたコブの達人が語る
ジュニア時代のボクと家族の支え (前編)


今回、愛知県スキー連盟では、たくさんの子どもたちにスキーやスノーボードの楽しさを知ってほしいということで、AiKidsスノークラブを立ち上げました。すでにスキーやスノーボードをしたことがあるというお子さんはもちろん、まだ滑ったことがないというお子さんにも、スキー場へ行くきっかけになってほしいということで、近隣のスキー場さんやスキー・スノーボードスクールさん、関連の施設にご協力をいただき、お得なサービスをご提供いただくことができました。また、スキー場だけでなくメールマガジン、動画コンテンツの配信など様々な情報をお届けすることで、より充実したクラブにしたいと考えております。
その特典のひとつ、メールマガジンでの情報発信では、トップアスリートやその選手を教え育てたコーチにインタビューをして、トップに行くまでにどんなことをしてきたのかなどをお聞きし紹介するコーナー「タツジンニマナベ」(達人に学べ)を企画しました。今回はその記念すべき第一回、愛知県スキー連盟が誇るスキーモーグルのトップ選手、堀島行真選手に登場していただきました。堀島選手、よろしくお願いします。

堀島選手はスキーモーグルのナショナルチームに所属されていて、出身は愛知県のお隣、岐阜県揖斐川郡池田町のご出身。岐阜第一高校から中京大学に進学してモーグル競技の研鑽に励み、今年4月に卒業後はトヨタ自動車に所属して選手活動をされています。世界ジュニア選手権で7位に入賞し早くからその実力を世界に知らしめ、2015-16シーズンのワールドカップで3位、初の表彰台に立たれました。さらに、2017年の世界選手権では初出場でモーグル、デュアルモーグル両方で金メダルを獲得するという快挙を成し遂げました(大会史上初)。記憶に新しい2018年の平昌(ピョンチャン)オリンピックでは、準決勝でまさかの転倒で決勝へはコマを進めることができませんでしたが、その後のワールドカップでは常に表彰台、上位にランクし続け、先日フィンランドのルカで開催された2020-21シーズンのワールドカップ開幕戦では、通算8勝目を挙げられました。
 

いきなりびっくり情報飛び出す!
年明けはダイナランド?で練習
世界一の滑りを生で見られるチャンス!


まずは優勝、おめでとうございます。そして素晴らしいご活躍、同じ愛知県民としてとても誇らしく思います。

ありがとうございます。トヨタ自動車所属の堀島行真です。岐阜県から始まって、学連(全日本学生スキー連盟)、そして今年から愛知県スキー連盟の所属になりました。とても大切にしてもらっているのを感じるので、しっかり活躍できるように頑張っていきたいと思っています。

今シーズン、次はいつ海外遠征に行かれるんですか?

次は1月27日に出発の予定です。今年はコロナの影響もあって、1月いっぱい日本にいられるので、出発まではウイングヒルズや白馬、岐阜県でしたらダイナランドとかで練習しています。

そうですか。え? ということは、もし運が良ければ、堀島選手が練習してるところを見ることができるんですかね?

間違いないですね(笑)

えー、ほんとですか。いつ行くんですか?(笑)

そうですね、年明けたら行くつもりです。

もし堀島選手に会えて、サインとか写真をお願いしたらしてくれますか?(笑)

はい、もちろんです(笑)

ありがとうございます! このアイキッズ・スノークラブですが、ダイナランドも提携スキー場になっています。楽しく滑っていたら堀島選手がいた!なんてことになると最高ですね!いやー、世界一の滑りを生(なま)で見られるなんてなかなかないことですからね、モーグルの練習をしている選手がいないかゲレンデをチェックしないといけませんね(笑)

 

と、気持ち良くOKをくださった堀島選手ですが、新型コロナウィルス感染予防の観点から、このあとのワールドカップ中盤戦以降に影響を及ぼすことは避けたいので、①生で見る、②「頑張ってくださいね!」の声援をかけていただく、くらいに留めておきたいと思いますので、読者の皆様、ご理解とご協力をよろしくお願いします。(編集部注)

 

いやー、いきなり興奮しましたね(笑)。
では、早速始めていきたいと思います。まず、やはりスポーツ選手としては憧れの舞台、オリンピックについてですが、2018年の平昌オリンピックに日本代表として出場されました。代表に決まった時はどんなお気持ちでしたか?

平昌オリンピックの代表には、選考基準は満たしていたけれども、オリンピックぎりぎりまで発表がなかったので少しドキドキしていたことを覚えています。でも、前年度の世界選手権で優勝したりとか、それなりの成績を収めていたので、内心は間違いないかな、とは思っていました。ですので、そのビッグな舞台で活躍できるように準備はしていました。

決まった時、誰に一番最初に報告されましたか? やはりご両親ですか?

そうですね、まぁ報告というよりは、今の世界は(ネットがあるので)自分が優勝したりすると(自分が報告するよりも早く)すぐにライブで知ってもらえることが多いので、報告という形ではないですが、オリンピックに出られることが決まったことや、一緒になって嬉しい気持ちを共有してくれる人がいっぱいいたので、よかったなーと思いました。
家族はもちろんですが、一緒に頑張ってきた選手からも祝福のメッセージがありました。選手だと、出れない選手も当然出てきます。自分が喜ぶということはほかの選手は喜べないということで、それは逆のことだって起こります。

オリンピックの期間中、予選から何本と滑るわけですが、一番緊張したのはどのタイミングでしたか?

オリンピックはけっこう緊張していました。予選は割と簡単なコースでしたので緊張もしていたけれども失敗はせずにいい滑りができていました。が、決勝の2本目になった時に昔ちょっと失敗してしまったことを思い出してしまいました。その失敗した時というのはコースも難しくなっていくなかで、自分も結果を出さないといけないという焦りが出てきて、それで失敗につながってしまったんですが、その2本目が一番気持ち的に焦っていたかな、と思います。

焦りはやはり一番の敵なんですか?

焦ってしまうとなかなかきちんとした判断ができないので、優勝するためにどういう風に滑ったらいいかわからなくなってしますんです。判断はほんの一瞬の時間ですけど、そこをコントロールすることが大事なんです。

焦りや緊張に対して、克服方法のようなものはありますか?

そうですね、ある程度自分に自信を持てると、焦りというのはなくなると思います。準備の段階で自分がいい滑りができていたりとか、技術が周りの選手よりも長けていたりすると、焦りは少なくなってくるな、と思います。トレーニングを積むことでそれが自信となって、大会の時、対戦するときに自信をもって戦えるんだと思います。

デュアルモーグルという種目は、ふたりで対戦するわけですが、お互い滑っている姿が見えますよね? どんな気持ちで滑っているんですか?

先行(自分より前を滑っている)している選手がいると、すごく焦る気持ちになるので、できるだけ自分が先に滑っていられるように心がけています。

モーグルという競技はスタートからいきなりすごい急斜面で、途中に大きなジャンプ台があります。先を滑るということは、ターンスピードも速く、ライン取りも直線的になると思うのですが、そういった厳しいものに向かっていくときって、怖くないんですか?

そうですね、やはり自分の限界スピードを超えていくと、怖いという気持ちはあります。なので、普段の練習の時からハイスピードでジャンプに入る練習とか、高く飛ぶということに慣れておく必要があると思います。

★モーグル競技とは
モーグル競技とは、ターン、エア、スピード、3つの項目で採点されます。ターンの得点が最も高く、60点あります。スピード点が20点、エア点が20点、合計100点が最高点となり、このポイントを競います。コースはおよそ200メートルの距離で、平均斜度は26度~29度くらい、大きなコブが全面にあって、そのコブ斜面をより短い時間で、バランスを崩さず正確に滑り降り、途中の大きなふたつのジャンプで技を披露します。ターンの正確性、スタートからゴールまでの時間、そしてジャンプ(エア)での技の難易度と正確性、それらをポイントに換算し、合計ポイントを競います。
単独で滑るモーグルと、ふたりで競い合いながら滑るデュアルモーグル、ふたつの種目があります。
※詳しくはこちらをご参照ください(wikipedia)

堀島行真選手

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八方のインストラクターよりも
速く滑り降りるんだ!

 
堀島選手は、いつ頃からスキーを始めたのですか? またモーグルをやろうとしたきっかけは、なにかあったのですか?

まず、スキーを始めたのは両親がスキーが大好きな家庭に生まれたので、僕が物心つく頃にはもう滑っていたという感じです。もう1、2歳くらいから滑っていたそうで、それからずっと冬になると毎週土日は滑っていました。で、モーグルを始めたのは、いろんなスキー場に行っていろんなコースを滑りましたが、そんななかでモーグルコースがあるスキー場に行って滑る中で面白くなっていったという感じです。そして小学校4年生の時に、けっこう本格的にモーグルを頑張ろうというふうに思った、というのを覚えています。

スキー場に行けばコブ斜面のあるスキー場も多いですよね? そういったところでコブを滑る楽しさを知っていったという感じですか?

そうですね、長野県の八方尾根スキー場の兎平(うさぎだいら)とか黒菱(くろびし)とかは春になったら斜面がコブでいっぱいになるので、そういったところで滑ってました。

でも、子どもの頃というとそのコブは自分の身長よりも大きくなりますよね? そんなところでも果敢に滑ってたんですか?

そうですね、八方のインストラクターよりも速く降りるんだって、頑張ってましたね(笑)

小学校4年生頃からモーグル競技を始めたということでしたが、スキーにはアルペン競技や基礎スキーというジャンルがあります。その辺には興味はなかったのでしょうか?

だいたい4年生の時にモーグルを本気でやろうと思ったんですけど、その理由として、それまでアルペン競技もやっていて、アルペンの大会もモーグルの大会も両方出ていたんです。でも、アルペンは自分のこの身長や体重だと全然スピードが出ないというか、急斜面でうまく滑っても緩斜面になると全然スピードが出なくて、ちょうどその頃ぐらいから体つきが変わる頃なんですが、、、アルペンでは勝てないなというのが出てきました。で、あんまり面白くなくなってきて、モーグルではまだその時勝てていたので、面白い方を選んだという感じです。 

アルペン競技をやっていたというのは知りませんでしたが、どこかチームに所属してトレーニングをされていたのですか?

いえ、チームには所属せずに、単独で練習して、大会に出ていました。父親が、準指導員の資格を持っていて、父にスキーを教えてもらってました。なので、僕がアルペンのレースに出ていたというのはあまり知られていないかもしれないです。

そしてモーグルを本格的にやりだしたわけですが、コーチについて練習していたのですか?

いえ、そこも家族で滑りに行って、自分の滑りをビデオに撮ってもらったりとかして、帰ってビデオ見て、何がいけないとか家族でやってました。大会に出ると、たくさんの選手が出てきて、そこで順位がつくので、1位の選手はどういう風にやってるのかな? とか、モーグルはこういう滑りなんだな、というのを学んでいきました。コーチがついたのは、ナショナルチームに入ってからですね。

ということは、ナショナルチームに入るまでは自力ですか!

そうですね。中学3年の時にジュニアのナショナルチームに入りましたので、そこからコーチがついてより高い、本格的なレベルのトレーニングになりました。

 

小4でバックフリップ成功

 
ジャンプで高く飛んで後方にくるっと宙返りするバックフリップという技がありますが、ちなみにあの技はいつぐらいからできるようになったんですか?

それがちょうど小学校4年生ですね。

え~~~!!?? 小学4年生!
 
後編へ続く(1月中旬配信予定)